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「フィリピン植林フォーラム体験記」
海野雅子



「フィリピン植林フォーラム体験記」 海野雅子



フィリピン ヌエバビスカヤ 7月。

雨期とはいえスコールが来るのは時々。炎天下での植林作業だ。岩のように固い土に穴を掘る。汗が滝のように流れ落ちる。

植える苗木は、ユーカリ、アンブレラツリー、ジェメリーナ、アカシアマンギウムなどその土地の苗木だ。30センチほどに育った苗木を、掘った土が乾かないうちに植え込む。雨が降ったら苗木の回りに水が溜まるように、埋め戻した土は掘る前の土より低く盛る。暑いので作業を続けては行えない。5本も植えたら水分を補給しないと熱射病になりそうだ。 30代の男性が、これほど大変な作業だとは思わなかったと思わずつぶやいた。植林風景

休んで水を飲んでいると、フィリピン人のロペスさんが説明してくれる。 「斜め向こうの山は、1993年に植林したところで15年経っているよ。その下の方は5年目、今、座っている横を見てごらん、あのユーカリの林は10年目…」
 さすが熱帯地方だ。10年でこんなに大きくなるなんて。富士山で植林した時は森林管理署の人に、林になるまでに、50年かかると言われた。

植林10年目のユーカリの林は7〜8メートルにも育っている。木々を渡る涼しい風がこちらにも吹いてくる。10年、15年後のこの山の風景を想像してはげ山に苗木を植えていく。思わず微笑みがこぼれた。

村の若者がリックのような入れ物に水を入れて背負い、植えた苗木に水をやっている。この水も下から歩いて持ってくるのだ。かなり重い。
 植林地の山は勾配がきつく、登るのも一苦労だ。足を踏ん張らないと滑り落ちそうになる。
 また、再び仲間が鍬を振り上げる横で苗木を植えていく。

マニラからバスで8時間ほどのヌエバビスカヤは、ルソン島の真ん中よりやや北の方にある。
 バスの窓から見る景色は、何時間も走っているのに、まだはげ山が続いていた。
 今は雨期なので、草が生えて緑色に見える山々だが、乾期は見渡す限り茶色い山並みが続くそうだ。ところどころ、土砂崩れのあとが見える。

かつてフィリピンの森林率は70%を超えていたという、現在は22%に減少してしまったそうだ。ラワンの原生林は3%にもなってしまった。そのほとんどの木は日本人が1960年〜70年代に伐採し日本に持っていってしまった。近年、災害が増えているのも、この森林がなくなったせいだろう。ここはまた、太平洋戦争の激戦地でもあった。日本兵の死者は50万人、それに対し、日本兵の犠牲になったフィリピン人は100万人にも及ぶという。いったい日本人はこの国の人たちに対して何をしてきたというのだろうか。苗木

そんな思いの中で黙々と木を植え続ける。広大な面積のフィリピンのはげ山に対しアリの一歩のような微力な行為だ。

今回このツアーを主催している国際NGOオイスカは40年近くに渡り、現地の農業技術者の養成や農業支援、植林を行ってきた。このヌエバビスカヤにも15年前から入り、日本人とフィリピン人が地道な努力を重ねている。

少しづつ森が形成されることで、蝉が戻り、森林の保水力が増し水が豊かになり、二毛作しかできなかった稲作が、三毛作で米が作れるようになったそうだ。 そして何といっても蛍が戻ってきた。漆黒の闇の中で、突然クリスマスツリーの電飾のように光る沢山の蛍を見たときは、思わず
 歓声をあげた。素晴らしかった! 日本の蛍よりだいぶ明るい。目を凝らして見ていると、さわさわ動いている。何時間でも見ていたい光景だった。

植林は私のライフワークなので、これからもいろいろなところに木を植えに行くことだろう。
 そうして、年をとった時に、かつて自分が植えたいろいろな場所が、きっと豊かな森になっていることを想像し、その土地に思いを馳せるのだ。そんな時間はきっと至福な時に違いない。そのためには、日々植林のために、体を鍛えておかなければ。
 さあ人生を楽しもう。


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